テキストオンリー

 思考を現実の言葉に当てはめるのは難しい。感覚や価値観は言語化するには限界がある。

 どれだけ綺麗な言葉を並べたって、心は汚いかもしれない。汚い言葉を並べているのに、不思議と心が洗われるかもしれない。

 発した言葉が心に届くことは少ない。届いてると思っていても、ただ表面をなぞっているだけで、伝わっていないかもしれない。水面を手で霞めるように、触ってるのに、届いてないこと。水面下に触れられてない。

 口だけで言っても、言葉だけで言っても、伝わらない。口がいかに上手い人でも、100%を伝えることは出来ない。精々60%がいいところ。むしろ口の上手な人は、本心を言葉にすることがまず少ない。

 それくらい人間は多種多様で、一人として同じ人はいない。境遇が似てようが、生活環境が似てようが、趣味や嗜好が似ていようが、考え方が似ていようが、あくまで相似。類似。完璧に同じなんてものが存在しない。それらを完璧に伝える方法も、その実存在しない。表現者はそうした言葉の限界をとっぱらおうとしている。

 音楽家であれば、音楽で心の有り様を表現する。唄があるなら、言葉と音で人の心に響くものがある。
 
 小説であれば、情景を言葉だけで表現する必要がある。とても慎重に言葉を選ばなければならない。雑に言葉を選んでしまうなら、それは口頭で雑談しているのと変わらなくなってしまう。

 映像であれば、既存の景色をいかに叙情的に見せるかが問われる。フィクションなら、どれだけ視聴者の期待を裏切れれるかが重要になる。写真であれば、瞬間の表情や景色を、僕らの目を代弁してくれる。何かを思い出すための日常的な記憶のトリガーとなりうる。

 表現者はもがいてる。表現者でない人間も、言葉にすがり、もがいてる。

 言葉は、扱い方が最も多様で、敷居が低い。簡単だが難しい。敷居こそ低けれど、推敲すればするほど、他の芸術と並べる程、しっかりと難解だ。言葉でなくても伝わるものはある。そこにもまた限界がある。どうにも、100%に達することはない。世知辛い。