人間、めんどくさがり。公共料金の支払いだって、洋服の洗濯も、面倒だと言われてしまえば、とても面倒。”自分”だって、別にしなくていいならやらないと思う。

 基本的に「自分は無能」と考えているので、まわりにえばれるほどの人生はない。何かが尖って秀でてることこともないし、かといって平均点が高いわけでもない。唯一得意だった英語だって、神童と呼ばれる人にけちょんけちょんにされた。

 いつも2位。学年でトップになろうと、県内で1位になれることはなかった。自虐風自慢のようだけど、本当に悔しかった思い出なのです。トップを渇望していたわけです、そこに喜びがあるかどうか知らずに。



 ちょっと得意なことがあるくらいで、トップになれるほどの実力のあるものはない。自分は無能だ。

「得意なことがあったこと 今じゃもう忘れたのは それを自分より得意な誰かがいたから」 国民的バンドが歌っていたこの言葉は、当時響いたのです。”忘れていない”にも関わらず響いたのです。「あぁ、この先この得意は消えてしまうんだ」とそんな漠然とした不安にもかられる瞬間だったのです。

 けど「”無能だとそう思える”自分は実は有能なんじゃ?」ともよく考える。思考が堂々巡りして、結論は出ない。

 そもそも「もしかして有能?」と思うことが無能である所以だし、無能である自覚をすることが才ある証拠にも思える。かの有名なソクラテスの言葉を借りると「無知の知」を理解してることになる。

 人が自分の中に何人もいる。他人なような、自分なような。



 自分で自分を描写することはとても難しい。

 よくアーティストや音楽の記事を書いてる。嬉しいことにいくつか、本人が読んでくれる機会がある。深居君に言われたのは「自分で自分を言葉にするのは難しいから助かる」で、これは確かに共感が強かった。

弾き語りの概念をぶち壊す「ヤバい」男、深居優治【ライブハウスの劇場家】

2018.05.07

 多くの就活生が「自己分析」に悩むのもよくわかる。「ぼくはこういう人間です!これが出来ます!」と声を大にし自信に満ち溢れた活気づいた声は、僕には出せない。「それ決めるの自分じゃなくない?」と無下に卑下する。

 かといって、「なんも出来ません。僕はゴミです」とも言うわけでもない。ある程度のことは出来るし、歩くこともできるし、お湯も沸かせる。ご飯も食べたくなるし、歯磨きだってする。あれあれ、立派じゃぁございませんか?

 別にネガティブでもポジティブでもないのだ。「なんだか出来る気がするし、できない気もする」「できない気がするけど、出来る気がする」

 なにをしても、常にその思考が軌道衛生として自分の頭をグルグル回る。「シュレディンガーの猫」ならぬ、「シュレディンガーの僕」になる。



 それと似たようなもので、「嬉しいけど、嬉しくないこと。嬉しくないけど嬉しいこと」もたくさんある。

 たとえば「仕事で成果を上げて、給料が上がる」「テストでいい点をとって褒めてもらえる」 これは喜ばしいことだけど、自分にとって大した嬉しさじゃない。どうも満たされない感覚がある。

 「何してる時が楽しいのだろう」と、中学のころからぼんやりと考えていると、それはどうやら心が動く瞬間であるとわかった。

 マンガを読んでいる時、音楽を聴いている時、小説を読んでいる時。現実でも、フィクションでも「物語が動く時」「心が動く瞬間」がいつも心を打つわけです。「なんだこれは。かっけぇ」嫉妬と羨望に満ちたその思いが原動力になるわけです。

「にわか」である事を恐れなくていい 誰だって最初は「にわかな初心者」

2018.04.12


 楽しいと感じる瞬間を突き詰めていったら、それはどれも彼も「心が動く瞬間」があるものばかり。”作品”に没入している瞬間がなによりも愛おしい。

 転じて、自分自身、楽器を触っているときや、文章や小説を書いている瞬間の楽しさは、代替の効かないものがある。鬼気迫る嬉々がある。それの質の巧拙は置いておいて。
 
 自分には、公開していない文章や作品もそれなりにあって、そやつらは公開してないので読まれることはない。そうなのだけど、嬉しさは殊の外あって、その文章は自分の中に生きて活きるのです。その質の巧拙は、置いておいて(second)

「読まれないことは嬉しいことではない」けど、嬉しい。「自分でなにかを生んだ経験」になるから、読まれなくても嬉しさがちゃんといてくれる。 



 一言で言ってしまうと、「自己満足」これがもう原点にして頂点。

 時間を忘れて没頭できることや、「意外とこれ苦じゃないな」と思えることないですか。それをどんな場面でも作り出せたら生きるのは案外楽。

 「楽しい」それだけでは生きていけないので、辛いつまらない盤面でこそ、自分の心を動かすなにかを作り出さないといけない。

 自分の場合、どんなに哀しいことも苦しいことも、言葉にすると気が紛れる。ぐちゃぐちゃになった曖昧なものがなんとなく固まる気がして、それが心地よいのです。楽しいことはより楽しくなるし、哀しいことも楽しさに変換できるのが、文章や音楽。

 けど、無理はしないで、精神が壊れるほどの場所や環境ならすぐ離れたほうがいい。

 なにより大切なのは、「自分になにがおこると楽しいのか」それを自分でぼんやりとでもいいから把握しておくと、存外人生ってのはなんとかなる。

 雑多に学んできたことは、意外と今、全部活きてる。得意だった英語も、国語も、苦手だった社会の言葉も、全部今に活きてる。あのとき、1位を渇望した思いも、全部どうでもいいやと思えたあの気持ちも。ただ見栄を張りたかったのかもしれないけど。

 生きてるなぁと思うわけです。

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